歴史研究会ではじめてこの地方の古地図を見せられたのですが、そのいびつな地形にとても驚いた記憶がありました。昨今ゲリラ豪雨などで名古屋市でもきまって冠水する場所があるので、古地図のことを思い出し、ネットで検索してみると、尾張国養老元年の図という、海だらけのこの地方の地図を見つけました。1300年ほど前のものらしいのですが、確かに私が研究会で見た地図はこれをベースに描かれたもので、海が入り組んだ半島や島が点在する、今の地図からは想像ができないしろものです。

現在の地名と照らし合わせて見ていくと、一宮、清洲、枇杷島、長島と津島はわりと最近まで島であったと聞いていましたから、それら名古屋周辺の主だった地名は皆、島ということで表され、名古屋はというと、名古屋城が現存するところがここでいう浪越というところのようです。半島の出っ張ったところ、海を見張るような場所です。現存する名古屋市の主な地名が古地図にも記されていますので、名古屋がこんなワカメのような半島であったのかとにわかに信じがたいのでですが、名古屋市が出しているハザードマップと比較して見てみると、なるほど、よく似た地形が浮かび上がって見えます。どうやら古地図で海になっているところは、ハザードマップでいう低い土地のようです。

ここでキーウイアパートの立地がどの辺りかというと、ナゴヤドームがこの図で見て取れるので、このあたりと記したところ、古地図でいう陸地の際です。確かにバスレーン通りから北側は大きな範囲で土地が下がっており、特に大曽根あたりは今でも大雨が降るとよく冠水する所です。それが古地図でいう海だったかどうかはわかりませんが、近くに矢田川があり、その河口域で侵食された場所であったと想像できます。とりあえず海でなくてよかったとホッとしましたが、もしとんでもなく巨大な津波が押し寄せたら、古地図のような風景になってしまう可能性があり、もしかしてこれは、かつてそのようなことが起こった時の図だったのかも知れません。

ここのところ大雨による土砂災害や洪水などの被害が日本中で多発する中、ある程度地形リスクを理解し、いざという時には適切な行動がとれるようにしたいとは思います。